about
プロフィール
周りの
平和の起因となる。
滑川 周平
shuhei namekawa
私の名前「周平」には、
両親の「周りを平和にするような人に育って欲しい」
という想いが込められています。
その想いを胸に、人を慈しみ、約束を守り、
礼儀を重んじ、学び続ける姿勢が、
より良い社会を築く原動力になると信じています。
この精神を多くの方々と共有し、社会全体が
信頼と調和に満ちた未来へ進むためのお手伝いをする。
それが私の役割であり、
「周りの平和の起因で在りたい」
と強く想っております。
/ 学歴
- 1994年3月
- 土合小学校 卒業
- 1997年3月
- 土合中学校 卒業
- 2000年3月
- 県立浦和高等学校 卒業
- 2001年4月
- 早稲田大学人間科学部
人間健康科学科入学
- 2005年3月
- 早稲田大学人間科学部
人間健康科学科卒業
/ 職歴
- 2005年5月〜2008年
- アクセンチュア株式会社
- 2012年6月
- MFIホールディングス株式会社設立
- 2018年6月〜2024年6月
- 株式会社フィンクロス・デジタル
取締役
- 2024年6月〜現在
- 株式会社フィンクロス・デジタル
代表取締役社長
shuhei’s story
自分の利益ばかりを追求し心身ボロボロになるも、師匠と東洋哲学と出会うことで物心共に豊かな人生、となった滑川周平の人生の軌跡を紹介します。
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「弱肉強食」という強迫観念
1981年の夏、日本の新潟県新潟市で生まれました。小学校の時は運動ができないことで自分に自信を持てず、孤独を感じていました。この経験から「弱肉強食」の強迫観念を感じるようになり、強くなければ生き残れないというパラダイムが育まれました。
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大学時代の起業
高校時代は埼玉県でナンバー1の県立高校に推薦入学し、バスケットボールに打ち込みました。しかしスターティングメンバーには選出されず、悔しい思いを抱え続けました。その後、東京大学を目指し受験に挑戦するも、センター試験で失敗し、失意の中で私立大学に進学。悔しさを晴らすために大学1年生で起業し、インターネット広告代理店事業や教育事業を立ち上げました。
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成功と挫折
大学卒業後は世界中のビジネスの成功・失敗事例を学ぶことに魅力を感じ、世界でも有数のコンサルティングファームに就職しました。初年度には、グローバル最高評価を獲得するなど、ビジネスの最前線で活躍。しかし、評価を落とせないという恐怖から頑張りすぎて心身ともに疲弊し、ついには精神的に限界を迎えました。
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再出発と新たな挑戦
精神的な挫折によってすべてから逃げ出したくなりしばらくは働けなかったものの、やがて学生時代の経験を生かしてマーケティング事業を開始。最初は勢いよく業績を伸ばしましたが、常に弱肉強食の脅迫観念が自分を襲い、売上、利益は業界トップでないと不安でした。常に1番でないといけないプレッシャーから遅くまで働き、朝まで飲むのも当たり前でした。過度なストレスとプレッシャーから健康を損ない、心身ボロボロに。
そんな中で東日本大震災が起こり、命の尊さを再認識することとなりました。 -
東洋哲学との出会い
そんな時、渋沢栄一さんの「論語と算盤」を読み、経済だけでなく道徳との両輪が必要であるという話に深く納得したのです。そこで私は、経済と道徳のバランスを心がけた経営に務めました。
再び歩み始めた頃、人生の師匠と出会いました。師匠が徹底的に人に寄り添い、お尽くしする姿を見て衝撃を受けたのです。
私は心から学びたいと思う人と初めて出会い、東洋哲学を実践することになります。
師匠の教えに深く感銘を受け、人に寄り添い、徳を積む生き方を学びました。この出会いを機に「弱肉強食」の脅迫観念を捨て、本来の自分らしく生きることの大切さを学びました。 -
東洋哲学を用いた
教育実践家への道
東洋哲学の精神を学び、実践することで、単なる経済的成功を超え、より深い倫理的価値を持つものとなりました。東洋哲学を基盤とした会社の経営に関わり、経営陣はメンバーの可能性を信じ続け、メンバーも経営陣のことを信じ続けるといった関係性が構築できました。
相互の信頼関係を築き上げた結果、社内外からの支援や共感が広がり、顧客数と売上は絶えず伸び続けています。
私が目指すのは、地球規模で人々の人生の在り方が変革し、より調和のとれた優しい世界が築かれることです。「周りの平和の起因」、これこそが、私の使命です。